日本に哲学はなぜ育たないと言われるのか

日本に哲学はなぜ育たないと言われるのか

芳村思風一語一会 vol.5119 ☆☆☆☆☆ 日本に哲学はなぜ育たないと言われるのか ☆☆☆☆☆ 結論から言うと、 日本にも、東洋にも古来より独自の哲学がたくさんある。  ではなぜ、日本には「 哲学がない」とか「育たない」と言われるのか。 日本には、西洋的哲学や西洋的価値判断を基準とした哲学がないだけ。  西洋の学問は、理性をベースに細分化することで発展してきた。 「人間の本質は、理性である」と考え 「真理はひとつ」として、正しさを追究して発展した。   西洋哲学は、個人の考えをどこから追及されても、 どんな角度から責められても、  相手を説得できる崩されることのない根拠がつくられている。  だから哲学には、個人の考え方、信念しかない。 カント哲学、ニーチェ哲学、ヘーゲル哲学のように個人名を冠した哲学しかない。 カントの哲学とは、カントが個人で論証して体系化して作り上げたカント個人の哲学。 これらの個人の哲学を同じような考え方で体系化して 観念論や唯物論としている。  時代に合わせて、新しい哲学が、個人によって作られてきた。 日本の大学の哲学科は、先ず誰の哲学を研究するかを決めなければいけない。  ニーチェを選択したら、ニーチェの書いた文献を研究し、 論文を書いて、評価を受ける。 だからニーチェ哲学研究の大御所はいても、 自分で自分の哲学を作ろうという人は少ない。  なぜなら、評価をする基準がなく、 評価をできる人がいないから。 日本の大学では、自分の哲学は評価されない。  東洋の哲学は、西洋の哲学と違い、根拠が示されていないものが多い。 わかりやすいのは「論語」。 結論しか書かれていない。  自分自身の体験、経験、学び、気づきの結論を語っている。 なぜそうなるのかという根拠は、論語を学びながら、 自分自身で体験して気づかなければ学んだことにならない。 根拠が示されていないので哲学」ではなく「思想」としてとらえられている。 根拠ではなく実践と実感で伝えてきたものに東洋や日本の哲学がある。  感性論哲学は、芳村思風の個人の哲学ではない。 感性論哲学は、感性をベースにしたことで、 観念論と唯物論という相対する2つの哲学の対立を乗り越えて統合した。  感性論哲学は、近代・西洋の「人間の本質は理性である」 という時代から、 次の新しい時代・東洋の時代の「人間の本質は心である」 という新しい時代を作る哲学である。  感性論哲学が、個人の哲学を越えた理由は、 感性論哲学が宇宙の摂理に則った哲学だからである。   ※「風の思い」より   やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・・    ●芳村思風先生の勉強会 ・8月5日(土)東京思風塾 13:00~15:30 ZOOM  参加費:5,000円  ・10月1日(日)思風会全国大会 14:00~ ホテルグランビア広島 詳細未定  ※お問い合わせ 思風庵哲学研究所 


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