第 1 原則:愛と対話とパートナーシップによる経営
第 2 原則:心の通ったぬくもりのある経営(心の通う経営)
第 3 原則:問題を恐れない経営
第 4 原則:変化をつくりだす経営
第 5 原則:仕事に死ねる愛の経営
第 6 原則:最高の満足を与え、最大の信頼を得る経営
第 7 原則:不可能を可能にする経営
第 8 原則:利益が出る仕組みをつくり続ける経営
第 9 原則:結果が出るまでやめない経営
第 10 原則:仕事を通して人格をつくる角熟経営

 

 

時代の変化

時代は、激変期を迎えています。近代が終わり新しい時代へと移っていく過渡期です。西洋の時代から、東洋の時代へ、今世界の文明の中心は、日本の真上に来ています。これから1,000 年は、東洋の時代。その入り口である日本が近代科学技術文明を集大成させ、新しい時代へと導く役割を担っているのです。
政治は、政党政治から政党政治、そして統合政治(合議政治)へ
経済は、資本主義経済から脱資本主義、そして人格主義経済へ
社会は、民主主義社会から脱民主主義、そして互敬主義社会へ
文化は、理性文化から脱理性文化、そして感性文化へ
文明は、物質文明から脱物質文明、そして精神文明へ
と変わっていきます。
経済は、金を中心とした資本主義経済から、経済活動を通して人間性を磨いていく人格主義経済へと移行します。
日本では昔から、商売を通して人格を磨く「商道」という考え方があります。西洋には、人格を磨くという考え方はありません。人間は、人材として、経営の要素のひとつとして考えられています。人材とは、能力において優れた人間のことです。人財と書いても同じです。東洋では、商売を通して人格を磨き、人物になることをめざしてきました。
人物とは、能力と人間性において優れた人間のことです。

・感性経営とはなにか
愛を原理にした感性経営とはどういうものなのか。今でも経営者の多くが、経営には「愛」が大切だと言うと「そんな甘いことを言っていては企業としては成り立たない」という認識です。経営者向けの研修会で「愛の実力 人間関係の10 の原則」というような「愛」という言葉が入ると、参加者が集まらないことが多いようです。半面、多くの経営者が「これからの経営には愛が必要だ」と話されています。ここでいう「愛」とは、恋愛の愛ではありません。愛とは情緒、感情ではなく、人間関係において最も大切な能力です。時代は、激動・激変・動乱の時代です。大きな構造転換が世界中で起こっています。イスラム国の活動も、ある意味では、時代を変化させるために出てきている活動であるとも言えます。テロという残忍な行為は、よいことではありません。テロを止めるためには、なぜ彼らが、あのような残忍で非道な行動をとらざるをえなかったのか、という原因がどこにあるかを解明しないといけないのです。行為だけを責め、排除するだけで、心情を理解しなければ、テロ活動はなくならなりません。アメリカは、中東の問題を含めて仲裁・調停はできるのですが、解決はできません。日本が「和ごころ」を持って、中東やイスラムの問題を解決できるよう動かなければいけない立場にいるのです。日本独自の対応を考え、世界に提案しなければいけない立場にあるのです。今、世界で起こっていることは、人知を超えたところで起こり、その意味を考えると時代を転換させるために起こっていることがわかります。
時代は、西洋から東洋へ、移ろうとしています。
理性の時代から感性の時代へ、と時代は変化しています。
人間観も、近代では「人間の本質は、理性である」と言われていたが「人間の本質は、感性である」という時代に激変しているのです。人間観も変化しているから、人間の生き方や考え方も大きな意識変革が求められています。あらゆる分野において、表面的なレンジではなく、原理的変革が必要とされています。今自分がやっていることで、原理的な変革をするとはどういうことかを考える必要があるのです。企業経営もこれまでの理性を原理とした経営から、感性を原理とした経営に変えていくときなのです。

第1 原則:愛と対話とパートナーシップによる経営

近代の理性型の経営とは「支配と命令と管理の経営」です。
上意下達で、上司が自分の思うように部下を動かすことで成り立ってきました。働く者は、決められたことに従うように管理されてきました。資本主義経済では、競争が成長原理でした。競争は、成長のために必要な原理ですが、これからの時代は、競争による量の拡大をめざすのではなく、質の向上をめざすことが大切な時代になってきています。
感性型の経営とは「愛と対話とパートナーシップの経営」です。支配ではなく愛で、命令ではなく対話で、管理ではなくパートナーシップで経営をしなければいけないのです。競争ではなく、力を合わせること。お互いの長所と長所を合わせて、量ではなく、質の拡大をめざす時代です。お互いに個性を残したまま協力しあうことを「統合」といいます。
同業種の企業の単なる合併で量の拡大で生き残りを図るのではなく、異業種・異分野の企業の統合により、新しい分野の開拓、新しい仕事を作りだすことが求められる時代なのです。「統合」がこれからの時代を作るキーワードです。
規則で縛り従わせるのではなく、柔軟な姿勢でなければ、組織は動かなくなってきています。規則では、働いている人自身のほんとうの生きがい・やりがいを引き出すことができません。企業は利益を上げ、時代に合わせて設備投資をし、時代が求める商品を提供し続けなければいけません。資本主義経済下では、働いている人に給料を支払い、次の時代に向けての設備投資などを行うために、企業は利益を上げることが至上命題です。そのために働く人は、お金を儲けるために働かなければいけないのです。資本を増やすことが、資本主義経済の中での労働の目的なのです。「私は、お金の奴隷ならない」と言っても、資本主義経済そのものが、金のために働くというシステムだから「お金のために働くこと」は避けることはできません。お金に縛られ、数字に縛られ、ストレスが溜まり、病気になる。会社を辞めたり、仕事の重責に耐え切れず自ら死を選ぶ人が、年間3万人を超えています。経済は、人間のためにある。人間が、経済の犠牲になって、不幸になるのでは意味がありません。多くの人が、どうすればお金のために働くという状況から脱却して、経済のシステムを人間のための経済にできるかということを考え始めました。「人間のための経済とは何か」が、現在の経済学の大きなテーマになっています。では「人間のための経済」とは何か。どうすれば、お金のために働くという資本主義経済から脱却できるのでしょうか。労働することによって人間性が破壊されるのではなく、労働することで人間性が成長するシステムは、どうすればつくれるのでしょうか。
そのためには経済活動を通して、人間が生きる喜びを感じるためにどうすればいいかを考えることです。脱資本主義という言葉が使われ、資本主義経済の次に来る経済システムとは何かを問い始めています。・人格主義経済をめざす
感性論哲学では、資本主義経済の次にめざすべき経済システムは、人格主義経済だと提唱しています。経済活動をすること人間の格をつくり、経済活動をすることによって人間の格を成長させる。経済活動を通して、人間性を成長させることで、ほんとうの人間の豊かさをつくっていくのです。金を儲けても人間性が破壊される、成功しても幸せではないという経済社会ではなく、金儲けをするという活動を通して、人間性が磨かれ、人格が成長するという労働の仕方を考え、創りだす時期がきているのです。これが人格主義経済です。

人格主義経済をつくっていくために、今何をしないといけないのでしょうか。
人間の本質は理性であるという時代から、人間の本質は感性であるという時代に変わってきました。感性や心を原理とした経済とはなにか、感性や心を原理とした経営とはなにかを考え、追究していくことで、将来の人格主義経済へとつなげていく原理がこの「感性経営の10原則」なのです。

「理屈じゃない、心が欲しい」という叫びを多くの人が、あげています。現代の人々が実感・本音で求めるのは、理屈ではなく、心を満たすものです。企業も人間の集まりです。人間観の変換をきちんととらえなければ、時代の変化につ
いていくことができません。中世から近代は、縦型社会でした。理性中心の社会では、支配と命令と管理のシステ
ムで、少数の支配者が多数の人間を支配し、社会秩序をつくってきました。今、縦型社会から横型社会へと変化しています。20世紀から21世紀に入り、社会構造が変化してきています。独裁者や専制君主が民衆によって排除され、社会主義国家も形をなくしてきています。時代の変化に合わせて、企業も縦型から横型の構造へと転換を求められています。企業においては、理性型の経営から感性型の経営へと転換することです。理性型の経営とは「支配と命令と管理」の力の経営、縦型の経営でした。横型の経営である感性型の経営とは、どんな経営なのでしょうか。
お互いが心を持って思いやること、思いやり、心遣いをもった愛の経営です。
支配の経営から、愛の経営への転換です。
命令ではなく「対話」という話し合いで、お互いが納得して、ものごとを決定します。管理ではなく「パートナーシップ」です。お互いがパートナーであるという意識で、力を合わせていくこと。経営者は、従業員を雇っているという意識ではなく、従業員はパートナーであり、助けてもらっているという意識で接するということなのです。パートナーシップとは、お互いに足らざるところを補い合い、お互いに長所で役に立ちあう関係です。「支配と命令と管理」から「愛と対話とパートナーシップ」に意識を徹底的に変革することが求められているのです。子どもの教育も、今は「管理教育」です。親や先生は「子どもに教えなければならない」と思っています。親や先生が、子どもを管理し、一方的に教えるのではなく、子どもから学ぶことが大切です。
親は、子どもが生まれて初めて親になります。子どもから学ばなければ、親としての成長はありません。親の立場から、自分の考えを押し付けるのは「支配」です。親は子どもから学んで成長し、子どもも親から学んで成長するのです。お互いが学びあうという意識をもつことです。今はまだ親は、子どもから学ぶという意識はありません。一方的に親が教えなければいけないと思いこんでいます。先生も子どもから学ぶことが必要です。今の学校教育では、「頭がいい子」とは、先生の教え方でわかる子どものことです。先生の教え方でわからない子は「頭が悪い」と判断されています。これも支配であり、押し付けの教育です。ほんとうの教育者とは、子どもがわからないのは、自分の教え方が悪いと考え、その子にもわかるように教えるにはどうすればいいかを考える人のことです。教育とは、わからない子をわかるようにすることです。教育力とは、できない子をできるようにする力のことです。できる子とできない子を分ける・査定するだけでは、裁きの教育・判別の教育です。理性的な支配の教育、管理の教育です。
わからない子どもがいれば、今の自分の教え方が未熟であることを反省する。わからない子どもにどうすればわかってもらえるかを考え、工夫し続け、わからせることができる力をつくっていける先生が、真の教育力を持った先生なのです。現実の教育現場では、決まった教科書を使い、決まった方法で教えて、テストをして、能力の評価をしているだけになっています。現状では、社会も企業も学校も理性型・縦型です。親子関係も企業も教育も、縦型から横型への意識変革をすることが求められているのです。
この感性経営の第1原則である「支配と命令と管理の経営」から「愛と対話とパートナーシップの経営」に変えていくことが、感性を原理とした経営への入り口なのです。企業は、人間味のある企業、人間的な企業へと変わること、血の通ったあたたかな企業への転換が求められているのです。

第2原則:心の通ったぬくもりのある経営(心の通う経営)

これまでの資本主義社会の企業経営では、血の通ったあたたかな心づかいは、否定さ
れてきました。仕事をすることで人間性が破壊されることが多くあり、人間が企業活
動の犠牲になって使い捨てられてきました。
人間は、経済活動の中では「ヒト・モノ・カネ」として企業の経営資源として考えられ
てきました。企業の中で働く人は、人材と呼ばれ、人間を何かのための手段として使
うと意識で扱われてきました。これは、人財という字を書いても同じです。
経営のための材料であるから、役に立たないと捨てられてしまうのです。
このような非人間的な労働環境を人間的な労働環境に変えるためには、心の通う企業・
心の通う経営をつくらなければならないのです。
資本主義経済における企業は、理性によって合理的に作られた仕事のつながりと役職
のつながりだけで成り立っています。
人間の本質は理性ではなく、心だという時代になっています。
企業も人間の集まりです。心を企業のありかたの根本にすることが求められています。
これからの横型社会・感性型の経営では、企業の土台に「心のつながり・心の結びつ
き・心の通い合い・心の絆」をどうつくるかが大切になってきます。
心の絆を土台にして、その上に仕事のつながり、そして役職のつながりを乗せた3次
元構造をつくることで、人間味のある、血の通った温かみのある人間的な企業となる
のです。
企業を人間味のあるものに変身させる唯一の原理は、企業の土台に「心のつながり」
をつくることなのです。
・心のつながりをつくる
どうしたら「心のつながり・心の結びつき・心の通い合い・心の絆」をつくることがで
きるのでしょうか。
すべての人が「心が欲しい」と叫んでいるのだから、心のつながりをつくるためには、
心をあげればいいのです。心をあげれば、心のつながり・心の絆が生まれてきます。
現状では「心が欲しい」と叫んでいる人にあげているのは「理屈」しかありません。
誰も心をあげていません。
夫婦も理屈、親子も理屈、学校でも理屈、会社でも理屈で、自覚して心をあげようとし
ている人いません。ほとんどの人は、理性で考え、理屈で対応し、理屈で処理しようと
しています。
理屈さえ通れば、すべてが解決する、理性的に考えて対応することが正しい解決方法
を導き出せると考えています。
理屈が通れば、感情の問題も解決する、乗り越えられると考えています。
このような理性の時代の浅はかな人間観がまだまだ残っています。
人間は、理屈で説得され、理屈がわかっても「なにか異和感がある、なにか納得できな
い、なんとなくしっくりこない」ことが必ずあります。

人間は、理性だけでなく、感性もあり、肉体もあります。
理性や理屈だけで対応し、感性の心情・感情、肉体の欲求への配慮がないと、心から満
足する・納得することにはなりません。
・ソクラテスはなぜ毒杯をあおがなければいけなかったのか
哲学の祖といわれるソクラテスが、なぜ人民裁判にかけられ、人民から死刑を言い渡
され、牢獄で毒杯をあおいで死ななければならなかったのでしょうか。
それは、ソクラテスがあまりにも理性を重視して、感情や心情を無視した結果です。
プラトンの「ソクラテスの弁明」の中でソクラテス裁判のいきさつを描いています。
ソクラテスの有名な言葉に「無知の知」や「汝自身を知れ」という言葉があります。
「無知の知」とは、真の知を求めるためには、今自分がいかに無知であるかを知らな
ければ、本当の知を求めようとする気持ちが出てこない、自分の無知を自覚するとい
うことです。
いろいろな人と対話し、その人が無知であるかをわからせようとしました。
いかに自分が無知であるかを知ること「汝自身を知れ」と次々と相手を論破していっ
たのです。
当時のギリシャでは、労働は奴隷が行い、少数の支配階級の市民は、政治に関わり、議
論をすることが日常でした。広場で民衆の前で議論をしていました。
ソクラテスは、世の中を変えるために、その特権階級の人たちと議論し、いかにその
人が無知であるかを、多くの民衆の前で証明していったのです。
民衆の前で言い負かされた有力者たちは「恥をかかされた」とソクラテスを恨むよう
になったのです。そしてその人たちが、裁判に訴えたのでした。
あまりにもたくさんの訴えがあったので、裁判所は市民を集めて「有罪か無罪か」の
裁判をしました。結果、多くの市民から「死刑」を言い渡されたのです。
理性のみを原理にして、多くの人の前で言い負かされたら、相手がどんな気持ちにな
るか。そのことをまったく考えず、ただ相手に真理を教えるために、理性的に対話を
してしまったのです。心を無視したソクラテスの活動は、評価されることなく、恨み
だけを買ってきたのでした。
人の反感・人の恨みを買うことの恐ろしさを知ることが大切です。
人間は、不完全なので、どんなことをしても長所半分・短所半分です。
どんなによいことをしても、不利益になる人が、半分はいるのです。不利益になる人
のことを考慮に入れていないと、人の役に立つのだからと、どんなによいことをして
も、うまくいかないことが多いものです。
イスラム国やイスラム教の過激派のテロ活動は、アメリカに対する恨みや憎しみや反
感から始まっているのです。今までのアメリカの中東政策が、いかにイスラム教の国々
の人の反感やうらみや憎しみを作ってきたのかということを反省する必要があるので
す。テロ活動に対する防止策や報復、テロ組織の壊滅をめざすことは解決策にはなら
ないのです。不良少年たちを立ち直らせる方法も同じです。
学校や警察は、彼らがやっている行為を否定し、責め、裁こうとしています。
これでは、根本的な解決策にはなりません。
「君たちのやっている行為は、社会に迷惑をかけているのはわかっているだろう。
でもそんなことをするのにはよっぽどのことがあったのだろう。相当つらい苦しい体
験や経験があったのだろう」と話を徹底的に聞くことから始めます。
「そんな苦しいことがあったから、こんな風に考えるようになったんだな」と共感し、
彼らの苦しい胸の内を聞くことで、信頼関係をつくっていくことがたいせつです。
「まだまだできることはある」と彼らがやれること、やりたいことを聞きだし、それ
を実現するためにはどうすればいいかを一緒に考えます。こうしろ、ああしろと命令
するのでなく、彼らのやりたいことを実現するための手助けを一緒に行うのです。
そうすることで彼らはその人を信頼し「自分のことをわかってくれる人と出会えた、
この人が言うことなら信じることができる」と違った道を歩み始めることができるよ
うになります。
これと同じことをイスラム国の人や北朝鮮にもできるかどうかです。
「やってはいけないことをしていること、他人や他の国に迷惑をかけていることはわ
かっているだろう。でもなぜそんなことをするようになったのか」を聞くこと、わか
ってあげること。これが悪を根絶する、変えることの第1歩なのです。
これが「愛」なのです。
愛なしには、憎しみに基づくテロ活動は、終わることはありません。
出てきた結果だけで、ものごとを裁いてはいけないのです。
ソクラテスはなぜ毒杯をあおがなければいけなかったのか。
人の心を無視し、感情を無視し、理性的な正しさだけで、ものごとを判断したことに
生き方に間違いがあった結果です。
理性だけで生きることの間違いがあることを自覚することが大切です。
欧米人は、今でもソクラテスを立派な人だと尊敬しています。
「ソクラテスは、情に流されずに、徹底的に理性で、正しさや正義を追求した。正義を
曲げなかった。死を恐れずに正義を貫いた立派な人物だ」と評価し、尊敬しています。
理性社会の中では、ソクラテスの生き方は、正しい生き方です。
現代は「人間の本質は、理性ではなく心だ。感性だ」という時代になっています。
なぜソクラテスが民衆から恨まれて、死ななければいけなかったのかを考えることで、
人間にとって「いかに心が大切なのか、感情が大切なのか、心情が大切なのか」が、は
っきりわかってきます。
人の恨みを買うことの恐ろしさを感じて、生きることが大切なのです。
ちょっとした一言が、人の心に傷を与え、自分では気づかずに、相手の恨みを買うこ
ともあります。
いかに人の心が大切なのか、感情が大切なのかを感じ、考えて、心づかいをしながら、
あたたかい血の通った言葉で話すことを常に心がける必要があるのです。これからの企業経営にポイントは、まず、企業の中に心のつながり、心の通い合い、心
の絆をつくること。その上に仕事のつながりをつくり、その上に役職のつながりをつ
くる。この3次元構造をつくることです。
では、どうしたら土台に「心のつながり」をつくることができるのでしょうか。
どうしたら、何があっても壊れることのない強固な団結力をつくることができるか。
心のつながりのある組織をつくれば、どんな理屈でも崩されることない団結力ができ
ます。キーワードは、「心をあげる」ということです。
・「心が欲しい」と「心をあげる」とは
多くの人が「心が欲しい」と叫んでいます。心が欲しいとは、何が欲しいのか。
心をあげるとは、何をあげることなのでしょうか。
「心」とは、なにか。心の実質をなすものは「意志と愛」です。
意志を原理にでてくる「心が欲しい」とはなにか。
認めてもらいたい、わかってもらいたい、ほめてもらいたいということです。
愛を原理にでてくる「心が欲しい」とはなにか。
好きになってほしい、信じて欲しい、許して欲しい、待って欲しいということです。
だから「心をあげる」とは、認めてあげる努力をする、わかってあげる努力をする、
ほめてあげる努力をする、好きになってあげる努力をする、信じてあげる努力をする、
許してあげる努力をする、待ってあげる努力をすること。
心をあげる努力をすることが、愛なのです。
愛の実践的原理は、努力です。
努力できるということは、愛があるということです。
どれだけ自己犠牲的努力ができるかで、相手に対して、どれだけの愛があるかどうか
がわかります。不完全な人間の愛の証は、どれだけ努力できるかでわかります。
心が欲しいという叫びに対して、心をあげるとは、努力をすることです。
これができれば、心のつながり、心の絆ができてきます。
全社員が、心をあげようという気持ちを持って、お互いに人に接することで、企業に
心のつながり、心の絆ができ、心の通いあいが生まれてきます。
理屈を超えた団結力が企業にできてきます。これが企業の魂なのです。
これが、人間味のある企業づくりの基本となるのです。
役職のつながりと仕事のつながりだけでは、理性的に作られた合理的な血の通わない
企業になります。
今いちばん企業に求められることは、人間的なぬくもりのある企業になることです。
「心が欲しい」という叫びに対して「心をあげる」ことを自覚的に続けていくことで、
企業に心のつながりをつくられていくのです。

第3原則:問題を恐れない経営

問題から逃げないこと。
多くの経営者は、問題が出てこないことを願っています。
人間は、不完全なので問題がなくなることはありません。
・問題とはなにか
問題は、母なる宇宙の愛ゆえの試練です。
問題は、自分を成長させるために出てくる。
問題は、会社を発展させるために出てくる。
問題は、社会を、良くするために出てくる。
問題のないところに発展はない。
問題があるから、今より良いものを作りだす努力ができる。
問題は、成長のタネ。問題こそ希望。問題こそ夢。問題が使命を与えてくれる。
問題があることがすばらしいこと。
問題が出てきてこそ夢がある。問題が出てきてこそ希望がある。
問題は、今やるべきことを教えてくれる。
だから経営者は、問題がなくなることを願ってはならない。
問題をなくす努力はしなくてもいい、してはならない。
問題が出てきたからといって、道を間違えたということではない。
問題がある道が、さらなる発展ができる正しい道。
人間は不完全だから、問題がない道はない。
理性を原理に考えると、問題が出てくることは、選択を間違えたことになります。
理性は、完全を求めます。理性的になると、問題がない道を求めます。
問題がない道は、堕落の道です。そこには、発展も成長もありません。
問題があることが健全です。
人間は不完全だから、問題はなくなることはありません。問題がない状態ということ
は、問題があるのに、気づいていない状態です。
人間関係においても、相手がどういう問題や悩みを持っているかを知ってあげること
がたいせつです。相手の問題や悩みを知ること、気づいてあげることです。
問題を解決してあげる必要はありません。問題を聞いてあげ、知ってあげることです。
夫婦においても、相手の問題に気づいてあげる、親子関係でも、子どもの悩みや問題
を知ってあげる、気づいてあげること。誰でも問題や悩みはあるのだから、それに気部下からの報告を受けるのとき「問題はありませんでした」という報告は意味があり
ません。問題は、必ずある。なくなりません。
「こんな問題がありましたが、このように処理しました」
「調べたら、こんな問題が予想されたので、こういう対処しておきました。」
という報告をすること、また上司は求めること。
問題がないことが良いこととするから、問題を隠そうとするのです。
問題があることが健全、問題があることを知っていることが健全なのです。
まったく問題がないのは、仕事をしていないということなのです。
問題があることが健全と思えれば、問題は問題ではなく、今取り組むべき課題・
テーマとなります。
問題はあるけど、問題ではなくなるのです。
問題を乗り越え続ける努力をすることに人生の本質があります。
感性は、問題を感じる力です。感性で問題を感じて、理性で問題を乗り越えていく。
感性が理性を成長させるのです。
これが、感動です。感じるから燃える、感じるから行動できるのです。
命から湧いてくる欲求・欲望・興味・関心・好奇心が、人生を創っていきます。
「人生とは何か」を理性で考えても意味はありません。
理性は、人生を意味あるものにするために、価値あるものにするためにどうすればい
いかを考えるために使うものです。理性は、手段能力です。
人生に意味はない。人生を意味あるものにする、価値あるものにするために、理性を
使う。人生に意味や価値をつくりだすことが生きるということです。
幸せを感じる原理は、欲求・欲望を実現すること。したいことをすること。心の底から
湧いてくる欲求・欲望・興味・関心・好奇心が、命が喜ぶことが何なのかを教えてくれ
るのです。
感性が感じる問題とは、今自分がすべきことを教えてくれる現象です。
問題が、未来を教えてくれる。問題が、進むべき方向を教えてくれる。問題が、志を教
えてくれる。問題が、使命を与えてくる。問題があることがすばらしいことなのです。
だから問題は恐れる必要はないのです。
問題があるから、経営者が必要なのです。
経営者は、問題を乗り越えて、社員に夢を与えなければいけないのです。
づいてあげる努力をすることで人間関係・夫婦関係・親子関係は改善されていきます。
答えを出す必要はないのです。
みんな問題を持っています。不完全だから、問題はなくなることはありません。
問題があるから成長できるのです。

第4原則:変化をつくりだす経営

生きているということは、変化しているということ。
変わらないということは、死んでいるということ。
理性型の経営は、決まったやり方をつくり、それを継続することを要求する。
感性型の経営は、社員からの提案を受け入れ、新しいものを作りだし続ける。
他社の成功談は、聞く必要はありません。
個人の状況・生い立ちなど地域や顧客の状態など特殊な条件が重なっているからです。
失敗談を聞くと、どうしたらよいかを考えます。自分ならどうするかと考えます。
成功談を聞いても、創造力や活力は生まれてきません。まねをして成功しても、長続
きせず自分のものとなりません。
では、どこから変化を作りだすのか。ポイントは2 つです。
1.現実への異和感が変化をつくる
現場から出てくる「現実への異和感」を大切にすること。
何かおかしい、ここをもう少し何とかできないか・・・という意見を活かすことです。
東芝復活の要因
土光敏夫さんが、東芝の再建に乗り込んだ。復活のためにまず最初にやったことは何
か。現場を回って、ひとり一人に話しかけた。どんなことをしているのかを聞き、ほめ
て感心し感動した。企業の活力は現場から生まれるのです。
現場から出てくる現実の異和感を大切にすること。問題意識を原理にして変化をつく
りだすことです。問題を感じることから変化が始まるのです。
2.夢や理想を未来にかかげる。
未来の夢や理想が変化をつくりだします。夢や理想のないところに変化はありません。
未来の夢が今、何をすべきかを教えてくれます。現実を夢や理想に近づけていく努力
をすることです。
理想のない人間は、自分のない人間です。夢や理想のない経営は、惰性の経営になり
ます。経営者の仕事は、未来の予測ではなく、将来はこうするという夢や理想を熱く
語ることです。
夢や理想は、未来ではなく、今ここ、現実の中にあるのです。
今生きている人間が、理想を語るからです。
夢とは、今を生きる力です。理想とは、今を生きる力です。
夢や理想が、今何をするかが明確にしてくれます。夢や理想がないと、現実の辛さに
押しつぶされてしまいます。今を生きるために、夢や理想が必要なのです。
「今ここ」。生きた時間は、今しかありません。過去も未来も、今ここにあるのです。
実現できるかどうかは、問題ではありません。他人がどう言うかも関係ありません。今までは、夢や理想を理性で考えてきました。目標は、理性で作ってきました。
理性で考えた目標は、祈りを苦しめます。理性で考えた理想は、命を苦しめます。
理性で作った計画は、実行しようとした瞬間から、辛い苦しい生き方が始まるのです。
夢や理想が、欲求から出てきたとき、命は解放されます。
したいことをするから、生きがいにつながり、欲求が、行動力を引き出すのです。
欲求・欲望から出てきた夢や理想が、命に喜びを与え、行動につながっていきます。
欲求なき夢や理想は、命を苦しめ、行動につながらないので、実現されることはあり
ません。欲求と結びついた夢や理想が、現実を変化させるのです。
欲求がある限り、行動し続けることができます。行動するから、夢や理想は実現され
るのです。夢も理想も、欲求として持ち続けることで、現実を動かし、変化をつくりだ
すのです。
・感性論哲学流 欲求と理想を結びつける方法 「人生における3つの問い」
では、夢や理想を欲求と結びつけるために、どうすればよいのでしょうか。
夢や理想が実現したときの、喜びや感動を鮮明に思い浮かべることです。
理性を手段能力として使うこと。常に自らの命に問いを発することで、夢や理想と欲
求を結びつけるのです。
人生における3つの問い
1.将来どんな人間になりたいか? どう在りたいか
2.将来どんな仕事をしたいのか? どう成りたいか
3.将来どんな生活をしたいか? どう為したいか
どんな人間になりたいのか。
人間という言葉を入れ替えて考えてみる。
どんな男(女)になりたいのか、どんな経営者になりたいのか、という理想像を自分に
問いかける。命からその理想像を引き出すのです。
どんな経営者になりたいかを自分に問う。そこから自分の「経営者道」をつくってい
くのです。「こんな経営者になりたい」というものが出てこなければ、経営者になる資
格がありません。いろいろな人に会い、いろいろな本を読み、理想の経営者像を持つ
ことが、ぶれない経営者になる道です。
どんな仕事がしたいのか。
今の仕事で存在感をつくれているかどうか。
存在感をつくるためには、どんなことでもいいから、ひとつの道に秀でることです。
私は、この分野においては誰にも負けないというものを持つこと。焦点を絞って取り
組むことで、自分自身の存在感をつくっていくのです。1点に絞って他を断ち切る。
どんな小さな分野でもいい世界一、世界初をめざす。
何をもって「世界の頂点」に立つかを決めること。1 日1 日生きた証(あかし)をつくっていく。目標や夢に少しずつ近づけていくこと。
目標や夢や理想が、進むべき道を教えてくれるのです。
変化がないことは、その会社は死んでいる状態にあるということです。
客の期待に応えるだけでは、客と同じレベルでの仕事しかしていません。
客に期待を超えるところに、プロとしての仕事があるのです。
プロとは、客にさすがと言わせ、客の期待を超える仕事の仕方ができる人のことです。
目標を持つことで成長は始まるのです。
経営者は、従業員に夢や希望を与えることが最大の仕事です。
親や先生は、子どもに夢や希望を与えることが最大の仕事です。
政治家は、国民に夢や希望を与えること最大の仕事です。
人間と動物の違いは、なんでしょうか。
動物は、与えられた環境にどう適応するかでしか生きていけません。人間は、与えら
れた環境をより素晴らしいものに変えていくことができるのです。
人間的な生き方の基本は、与えられた現実を、より素晴らしいものに変えていくこと
にあるのです。
与えられた現実をより素晴らしいものにするために、夢や希望・理想を持つことです。
そしてそれに1歩1歩近づくことが変化をつくりだすことなのです。