義風清心
芳村思風一語一会 vol.3469
ちょっと難しい文章ですが、読んでみてくださいね
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義風清心
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芳村思風先生が自分のために考えた言葉。
この言葉は、自分自身を奮い立たせる言葉だそうです。
数年前、ある雑誌に書かれた芳村思風先生の文章です。
15歳のとき、自宅の父親の書棚にあった
「菜根譚」という本を見つけた。
明の時代に「洪自誠」という人物が著した終身処世の訓戒が
語られている前集225条、後集134条からなる本。
第1条の文章の語調と内容の崇高さにゾクゾクした。
「道徳に棲守(せいしゅ)するものは、一時に寂寞(せきばく)たり。
権勢に依阿(いあ)する物は、萬古(ばんこ)に凄涼(せいりょう)たり。
達人は物外(ぶつがい)の物を観、身後(しんご)の身を思う。
寧(むし)ろ一時の寂寞(せきばく)を受くるとも、
萬古(ばんこ)の凄涼(せいりょう)を取ることなかれ。」
道徳に棲守することは、単純に道徳を守るということではなく、
人の道に外れないで動議を重んじる生き方を意味している。
世の中の倫理道徳や規則にしばられて、堅苦しい窮屈な生き方をしている。
いわゆる善人根性の持ち主は、人情の機微をしらぬ堅物であり、 小人である。
道徳に棲守することは、常に人間として血の通った温かな心をもって
人の道に外れない生き方を自律的に求め、
模索しながら生きるということである。
ちっぽけな心の持ち主である小人は、自らの不完全さを棚に上げて、
自らを正しい善人と思い、わずかなことである人を責める。
道徳は人を責めるためにあるのではなく、
自らを律する自律の原理である。
不完全な人間という自覚にたって、恥ずかしくない生き方を
心がけることが、道徳に棲守することである。
そうすると世の中の風潮に流されないから、
一時は変人扱いされたり、損をすることもあるかもしれない。
一時に寂寞たり、とはそういう意味で、一時は不遇や寂しさを
味わうかもしれない。
しかし権力のある者にへつらい、おもねる人は、時には得をして
立身出世するかもしれないれど、心の中は終生にわたって
卑しさと人の道に外れた間違ったことをしてしまったことへの
自責の念と自らの醜さに苦しめられ、人の顔がまともに
観られないような、自信のない卑屈な荒涼たるものになってしまう。
人の道に熟達した人は、目先のことに煩わされず、人としての
自らの信じる道を貫いて、人事を尽くして天命を待つ、
無理のない生き方をする。たとえ不遇な生涯で終わろうとも、あの世まで汚名を着て、
家族や親類知人に迷惑をかけ、人から非難されることになるような
権力に媚び、権力を利用し、自分を見失う生き方を選んではならない。
この「菜根譚」の言葉は、私の命にしみ込んでいて、いつでも空で言える。
そしてこの精神を自分の意識の中で熟成させていって、
自分の言葉として表現したのが「義風清心」という
私の生き方の基本になった。
この言葉は今でも自分自身を奮い立たせてくれる
力強い美しい言葉である。
やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・
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