学問とは、問い方を学ぶこと
芳村思風一語一会 vol.3430
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問い続ける
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答は大切です。
それ以上に大切なことは、問いを持ち、問い続けることです。
行き詰まったときは、「問い」を変えてみること。
問い方を変えてみること。
「なぜ売れないのか」ではなく、
「買った人が回数を多く使ってもらう方法はないか」
「もっと変わった使い方はないか」
問い方を学ぶこと。
だから学問なのです。
学習力よりも、学問力なのです。
人間は、答を求め、答を出すことで安心し満足する。
多く人々は、自分の答に支配され、縛られ、他の答や考え方の違う人と対立することが多くあります。
自分の答が正しいと信じ、自分の答に縛られた人間が、
宗教やイデオロギーや文化や価値観の違いを理由に戦争をし、殺し合っています。
価値観の同じ人だから結婚する、価値観の同じ人としか仕事ができない、
社員全員の価値観を統一するということは、
違う価値観を認めない、個性を認めない、違いを認めないということになるのです。
生まれた環境が違い、育ち方が違い、出会いが違うのだから
、まったく同じ価値観や考え方になることはありません。
答に縛られることの恐ろしさを認識し、自覚しなければいけません。
人間が答に縛られるのは「真理はひとつ」と考える理性に支配されているからです。
真理はひとつと考えると、今あるいくつかの考え方の中のどれかひとつが正しいものとなります。
完璧で正しい答えは、ありません。
不完全な人間がつくっているのだから、完璧なものはありません。
より正しい考え方、よりよい考え方へと成長し、発展し、進歩し、変化し、動き続けているのです。
最近の量子力学では、宇宙は法則に従って動いているのではなく、
常に宇宙全体が秩序と法則を模索しながら、
法則や秩序をつくりながら動いているとされています。
私たち人間もその宇宙の中で生きているのだから、
固定観念や自分の考え方や答に縛られることなく、
自分の意識や考え方を成長させなければならないのです。
そのために人類は近代における「真理はひとつ」という価値観から脱却し、
理性は完全だという考え方を捨てなければならないのです。
人間は不完全な存在であり、理性は合理的にしか考えられない有限で不完全な能力です。
現実は、合理的なものと合理的でないものが互いに一対となって存在しています。
善は合理的なもので、悪は非合理で合理的でないものです。
理性で考えれば、善は良いが、悪はダメとなります。
しかし悪がなくなれば、何が善かわからなくなり、善を求める心は消えてしまいます。
物事には、完全な善はなく、プラス面とマイナス面が常に半分ずつあります。
表には裏、陰には陽、光には影があるのが、真実の世界です。
真実は矛盾を内包し、真理は矛盾を排除します。
だから理性では矛盾ある真実に対応できません。
理性で考えて、どんなに正しいと思っても完全・絶対ではないのです。
だから私たちは、答を持ちながらも、
その答に縛られないためには「ほんとうにこれでいいのか」と常に問い続けなければいけないのです。
「問い」を忘れたとき、人間は成長が止まります。
常に、答は不完全なのです。
不完全とは間違っているということではありません。
他から学び成長できるということです。
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