今回は「出会い」をテーマに
出会いというのは自ら作るよりも大いなる力が働いてで合わせてくれたもの
そこに意味と価値を見出せるかが大切
1つ1つの出会いを大切にする事によりこれからの人生を出会いを自分の中で解釈をする。そのことにより、解釈力がはぐくまれそこに意味と価値を求める事により嫌な出来事であったとしてもプラスの解釈力が出来る。
それが哲学するという事
次に吉田松陰の松下村塾の門下生の例を基に多くの門下生は吉田松陰の言葉や行動、姿勢に触れてその後活躍する方が多かったが、唯一2人の門下生だけは全然響かなかった。という内容で2人には「憤」が無かった。
「憤」は感応道交(かんのうどうこう)という言葉に表される様に感じて動く事が2人にはなかった。
「憤」が無ければどんなに素晴らしい方との出会いがあっても出会いが出会いにならない。
それを分かりやすくいい表したのが感受性
そして感受性よりも求感性(ぐかんせい)
感受性は刺激があって響く、求感性は求める。
「感受性」よりも「求感性」(ぐかんせい)は求めなければ受け取れない。感性の本質は、求感性であるという事を解説頂きました。
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