感性論哲学について

「感性論哲学」は、芳村思風先生が30数年前から提唱されている「感性」を原理にした新しいこれからの時代の哲学です。

感性論哲学とは

人間の本質は感性で命の本質も感性 それを基準にしているのが感性論哲学

多くの人達は問題があってから考える。

それは哲学なき生き方であり、哲学を持って生きるという事が大切。

 

哲学は人間が幸せになりたいというのが根本にあり、時代時代に合わせて変わってきた。
現在は理性から感性の時代に原理的に変化しようとしている。

つまり、現代においては心を求める時代になってきたという事。それが今まで理性的な考えで日々の生活や世の中が動いてきたことがこれからは感性を大切にする時代への過渡期になろうとしている。人間が幸せになる、幸せにする為には理性だけでは難しく感性を取り入れる事でより日々の生活や仕事、人間関係において良好な関係を築くという心が求められる時代。
・欲求
・欲望
・興味
・関心
・好奇心
これら沸いてくるものが今までは理性で抑えられていたが、感性の視点から人間の心の中で湧き上がってくるものを育てていく。そして人に迷惑をかけないために理性を使う。

 

人間に例えて見た場合に、人間の感性の実態は3つの作用があり
統一作用、合理作用、調和作用
「感性」は、この3つの能力によって、何が一番適切な行動であるか、優れた判断であるか、それを常に探り求めながら活動しているとの事です。
「感性」は常に真実なるものを求め感じる力、本物を求め感じる力。感動を求め感じる力、人間において本当に素晴らしいものを求め感じる力として働いています。

人間の本質が感性であり、その実態が愛と意志ならば、現象として起こる問題は、愛の実力を高めるために生じたり、意志を明確にするために起こるのだと解釈できます。それが分かれば、問題に対する不安や恐れは和らぎます。
本質と現象。これは同じもので勝手には起きない。

本質を「感性」と置き換えると、興味関心のあることに目がいって、同じく興味関心のある人と出会う事がある。
人間の心は意味と価値を感じる感性であるから意味と価値を感じる方に人は行く。

そこに対しておのずと愛着を持っている様な現象が起きる。愛が薄ければ薄い現象が起きる。

 

愛と意志が人間の本質であった場合
意志なき愛は人を堕落させる
愛なき意志は、人を傷つけることなしには、その目的を達成しえない。
(人生において生きがいや喜び、充実感を求めるならば、人間は誰でも心から愛することができるものと、人生を賭けて意志するものを持たなくてはいけません)

そして

感性論哲学は理性を否定するのではなく
感性は主で、理性は押さえつける為にあるのではなく育てる為にあるということ。

そして人生は愛と意志のドラマであり
愛と意志の両方とも力をつけていく事が大切で、どちらか一方ではなく両方とも大切である。
理性能力が知識、技術であるとするなら
愛も能力として育てていくべきものであり、
愛がついていかずに意志だけだと、希薄な人間関係や正しい事は言ってても心では伝わらない、そんな人間関係を作ってしまうかもしれない。

だからこそ、愛について学び、育てていく事が人間関係を解決するきっかけになるかもしれない。

 

芳村思風×渡邊智恵子 対談① 【22世紀に残すもの】2016年1月10日放送

 

 

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