八倉比売(やくらひめ)神社

八倉比売(やくらひめ)神社

『天石門別八倉比売神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)』
徳島県徳島市の西にある国府町。式内社・阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」のうちの論社の1つ八倉比賣神社(やくらひめじんじゃ)です。阿波史跡公園にクルマを置いて、山の中の石段を登っていきます。この小山は杉尾山という名前で、山自体がご神体とされています。
『延喜式神名帳』にある「天石門別八倉比売神社(阿波国・名方郡)」に比定される式内社(名神大社・月次新嘗)の論社で、歴史的な一宮としての阿波国一宮を称す。近代社格は県社。「全国一の宮会」に加盟していない。

創建の年代は不詳であるが、社伝にはアマテラスの葬儀の様子が記されている。

はじめは杉尾山に連なる気延山の山頂にあったが、後に気延山南麓の杉尾山に鎮座。安永2年(1773年)に書かれた文書には、鎮座から2150年と記されており、逆算すると紀元前378年(第6代孝安天皇15年)となる。

江戸時代には阿波国を治めた蜂須賀氏が当社を崇敬した。寛保年間(1741年-1743年)に杉尾大明神と称し、明治3年(1870年)に現社名に改めた。

社殿裏手には五角形の磐座がある。一説には卑弥呼の墓であるという。近くに「天の真名井」と呼ばれる井戸があり、現在は「大泉神社」として祀られている。

周辺の中でも式内正1位という位の高い神社です。その理由は、ご祭神が天照大神(大日霊女命オオヒルメノミコト)であるというだけでなく神社の背後には5角形の陵墓を背負っており、ここに天照大神が葬られている、とされているからです。だからここの社殿は背後の陵墓を拝む格好に建てられた神社となっている。つまり背後の陵墓に重点が置かれた神社なのです。神社にある社歴によると、この神社は鎮座している山自体がご神体になっているが江戸時代に神陵の一部を削ってここに拝殿本殿を作って、拝殿の後ろにある神陵を拝む形にしたとのことである。その神陵全体は変形の前方後円墳となっているとされているがそこまでは確認できなかった。神陵の頂上には五角形の青石で築かれた祭壇が設けられている。この祭壇がどのように使われたのか見当がつかないが周囲の雰囲気とマッチして幽玄の世界を漂わせている。この神社につけられている八倉という冠詞も普通の神でなく天子の居所を示す尊称とされている。社伝記には天照大神がこの地に天降りされ、社殿裏の峰に遷座されたと葬儀の模様を伝えている。古事記によるとニニギノミコトが高天原から降臨されるときに勾玉、鏡、草薙の剣を携えて従ってきた神様の一人が天石門別神であり、古事記には「この神は御門の神なり」と書かれている。つまりこの神社を守っている天石門別神とは高天原や天照大神を祀る神殿の出入り口を守る神であり、天照大神の宮、及び天孫御所の門を守るために天降りしてきている神である。このことは、ここが天照大神の陵墓を守る社であることを示していることになる。つまり天石門別八倉比売神社とは天照大神が葬られている陵墓を守っていることを表した神社名ということになる。

 

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