阿波の国の一宮は大麻彦神社で、阿波の国の特産品として麻があったことが知られている。綿花が日本に伝来したのは戦国時代。それより昔、庶民の衣服は麻であった。

現在は吉野川市となってしまったが、その旧名は麻を植えると書いて麻植郡であった。麻の生産の歴史を史跡をたどりながら解説していただく阿波忌部氏研究家の林先生のアラタエロードツアーに参加した。

天皇陛下の即位後、はじめての新嘗祭は特に大嘗祭といわれている。大嘗祭は、前王の霊的パワーを引き継ぎ、天皇が現人神となる神事である。この神事のときに、阿波の国からは代々、麻で織られた鹿服(アラタエ)が謙譲される。このアラタエは大嘗祭の中で、特別な貢物で、このアラタエがないと大嘗祭が開催できないともいわれている。現在の平成天皇陛下の大嘗祭の開催のためにも、木屋平村で特別に麻が育てられ、山川町の忌部神社でアラタエが織られて謙譲されている。

古代に阿波の国を治めていた阿波忌部族は、大和朝廷の中で、祭祀を司っていた部族であったようで、宮廷神事の場面によく登場するが、平安時代に隆盛を極めた藤原氏(中富氏)との覇権争いに敗れ、歴史の表舞台から消されてしまっている。

阿波では、現在、麻はまったく生産されていない。麻からは大麻が取れるので、戦後生産が禁止されて、栃木県などで毒性のない麻が開発されて生産されているだけになっている。

鴨島町の牛島(うしのしま)は、古代より麻を作り布を織る職人が住む川中島だったので、苧師島(おしのしま)と呼ばれていた。それが大人島(うしのしま)と呼ばれる時代を経て、牛島になったという。その牛島の牛島八幡神社の主神は阿波忌部の祖神の天日鷲命である。

この神社は麻宮と呼ばれ、麻植神を祭った神社であったと考えられている。牛島八幡神社には山門があり、山門の向こうには向麻山(こうのやま)がある。この山の麓には麻搗石、麻晒石とよばれた巨石があったが、麻名用水の開墾時に破壊されてしまった。麻は搗いて皮の繊維をはぎとり、水で晒してやわらかくした。向麻山の麓には古代、麻の精製工場であったのだろう。近くを流れる飯野川はかつて麻漬(おけ)、麻漬の口と呼ばれていた。

川島城のとなり川島神社の西より岩山に登る。この場所は岩の鼻と呼ばれている。

川島神社は吉野川の改修工事により遊水地になった粟島にあった浮島八幡神社を川島城の二ノ丸に移したもの。主神は阿波忌部の祖神である天日鷲命。10月22日の例大祭では山の幸、川の幸、海の幸、里の幸、75品の供物を神饌台に祭る神事が行われている。これは古代より続く忌部の神事ではないかといわれている。

高越山は古代「木綿麻山(ゆうまやま)」と呼ばれていた。その北にある種穂山には、阿波忌部氏の祖神である天日鷲命が天磐船に乗って、麻・穀・粟・五穀の種を携えて降臨しという伝説が残っている。吉野川の川中島「善入寺島」は粟がたくさん実り、古代より粟島と呼ばれていた。

種穂山の北は吉野川の狭窄部である岩津。吉野川は岩津で一度しぼられて、暴れ川のエネルギーをちじめられて、その下流で一揆に噴射する。

種穂山は吉野川がつくる徳島平野を治めるためには最良の場所。古代の王がこの山の上にいたといわれると納得の場所である。

天から種を携えて降臨した神は、山の周囲でその種を人びとに蒔かせ、増やし選りすぐりの良い種を選んで、この地より全国に普及したのだという。阿波徳島の粟島(現在の善入寺島)あたりが、日本の農業の発祥の地というのは、納得のいく話で、吉野川はエジプトのナイル川、メソポタミヤのチグリス・ユーフラテス川と同様、洪水のたびに肥沃な土を運んでて、時期を間違わなければ、今も何を植えてもよく育つ豊穣の土地。

 

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