「忌部」とは

「忌」はイムと読みますが、この字の意味は

・『神聖、呪力のある状態のこと』

この「忌」に「部」がついて

・『穢れを忌み清める集団 神聖な状態を保つ集団』となる。

忌部は大和朝廷成立前から、全国に進出し殖産した部族ですが、 忌部という名は、大和朝廷成立後、氏姓制度が整備された中で、 忌部となったようです。 日本書紀には、中臣連と忌部が共に祭祀を司ったと書かれていますが、 元々は忌部が先。
忌部の仕事は祭祀そのものの他、それらに関わる道具類などの製作から、 宮造りまで行っていました。

阿波忌部とは

阿波忌部は阿波国を開拓。
ヤマト政権成立直前には、海部とともに日本各地に進出。
ヤマト政権成立の立役者となった。
神武天皇の東征を助けた「金鵄」「珍彦(椎根津彦)」の役割も果たした。
大和国造・伊勢・伊賀・阿波国造となり、その一部が中央忌部となった。
全国開拓への出航地は鳴門市。
阿波忌部の祭祀遺跡・伝承地は麻植郡・美馬郡に多く残っている。

忌部氏は、古代から大和王権の祭祀を中臣氏と担当していた。本来、伊勢神宮をはじめとする王権祭祀を司っていたのは、忌部氏だった。特に、忌部は祭祀のための祭具を調達。

阿波勢力(阿波忌部族)は海部とともに大和王権の成立直前となる2世紀後半から4世紀頃に、日本各地へ進出。
彼らは、麻・穀を植え、農業・養蚕・織物・製紙・音楽(弦楽器)・建築・漁業・農業土木技術を伝えた祭祀族、海洋民、産業技術集団であった。
また、近畿に大和王権の象徴となる前方後円墳の諸要素と古墳築造技術を伝えた。そして、大和王権成立の立役者となった。

日本の農業のルーツは阿波忌部族がもつ古代農法にあるのではないかとの事で、衣食住全てを伝えていたのが阿波忌部族。それを現代に紐解くと「地方創生事業」の大本として展開したのが阿波忌部族であり、阿波忌部族が行っていた古代農法を知り、それが数千年もの間、伝統が絶えずに続き、継承されていた農法を知り、行う事が次の時代への新たな気づき、そして文化を継承し守り続ける大切さを知る事は阿波忌部を学ぶ事につながるであろうと。

阿波忌部農法の特徴としては
「21世紀をリードする、自然循環型の、生物多用性を保障する、健康志向の農産物を栽培する最先端の伝統農業」と林先生は位置づけられ

従来の
・古い、貧しい、非効率、前近代的な遅れた山間部の農業から
限界集落化を防ぎ、豊かな日本国家創生の原点となる【ソラ世界】の最興を目指したい。ソラ世界においては、徳島剣山系の多種多様な傾斜地農業において
標高、傾斜度、日照量、気候、地勢、地質に応じ作物を栽培し、適地適作農業を営んでいるのが剣山系における傾斜地農業の最大の特徴である。

次の時代(生命、文明)において忌部氏は大きな役割を担う

忌部は宗教改革もおこなった。
(倭国創生、つまり大和王権を成立させるに至り、現在にまで続く宗教改革を行った。)

 

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