2017年10月7日(土)東京思風塾テーマ「愛ある子育てとは~思春期から社会人へ~」

次回10月7日(土)の東京思風塾は「愛ある子育てとは~思春期から社会人へ~」というテーマにて開催致します。

 

前回は意志ある教育とは~人材教育から人物教育へというテーマにて開催

資本主義経済において、人間は人材として扱われてきた。人材というのは何かの為の材料、手段としての意味が含まれ資本主義経済においてはお金をもうける為の手段として人間が使われる。その為の人材教育、つまり手段としての人間のあり方が人材として使われてきた。
本来経済は人間の為にあり、人間が経済の犠牲になってはいけない。
もっと経済活動を行う事により人間としての成長や幸せになる事がテーマとなってきている。

では、どうすれば経済活動を行いながら人間として成長出来るか、幸せな道を歩む事が出来るか

感性論哲学では近代の資本主義経済から脱却し脱資本主義を目指し、人格主義経済を創っていく。
人格主義経済は経済活動を行う事により人間性が成長し、喜びを感じる事が出来る。そういう経済システムを構築しなければいけない。
その責任が今日生きる人間にあり、企業にも人間的な温もりを与えていく。

感性論哲学における今の時代における人間教育

2つあり、矛盾を生きる力と不完全を生きる力
不完全であることを活かしてみとめて許していく。長所も短所もいかしていく。

責め合うという社会から脱却し許しあう社会になるために

不完全な人間でも安心して生きていける社会を創らなければいけない。

昨年開催の年代別愛の子育て~感性論哲学教育論~

思風先生が提唱する

「愛の子育て」5つのポイント

~感性論哲学 年代別教育論~

1. 教が育を超えてはいけない

教育とは、「育」が主体で、「教」がその手段です。教えるという行為が、育てる、引っ張り出すという行為を阻害することになってはいけません。引っ張り出すために教えるのであり、能力を開発するために教えることが基本です。

その人間が持っている資質や素質を引っ張り出してあげるのです。子どもは、見たがり、聞きたがり、触りたがりで、知りたがり屋です。見たい、聞きたい、触りたい、知りたいという欲求を抑えてしまわないこと。現在の教育では、あまりにも教え込もうとするため、欲求が出てこない、何をしていいのかわからない、何がしたいのか解らない子どもが増えています。見たい、聞きたい、知りたいという欲求が自分から出てくるように育てる。自分の力で「やったぁ~」という感動と喜びを味あわせることです。

2.問う力を育てる

(欲望・欲求を引き出すために、理性を使う)
学校では、先生が問題を与えて、子どもが答える。子どもは、問題を与えられるのを待っているという待ちの姿勢です。問題は、子どもの心の中から出てこなければいけません。「問う」ということの中に、欲求や欲望が含まれています。

欲求や欲望が湧いてくる、問題意識が湧いてくることが大切なのです。子どもの中から問題意識が湧いてくる前に、親や先生が問題を与えてしまうと、子どもの自発的な能力が出てこない。人間的な理性を作るために、子どもの中から湧いてくる問題や興味・関心・欲求・欲望に対して、どうすればよいのかということを子ども自身に考えさせることが大切です。

自由奔放に遊ばせること。ゲームなどではなく遊びを考えさせる。その遊びの中から、自分で創意工夫をしていくことができるようになってきます。遊びの中でいろいろな問題にぶつかったとき、どうしたらいいのかと考え、独自のルールを考えたり、失敗しながら、創意工夫することが知恵を作るのです。教えなければいけないのは知識ではありません。意味や価値や素晴しさ、楽しさです。何かをやらせようとするとき、どこに面白さがあるのか、どこが素晴しいのか、その能力を持てばどんなことができるのかを感じさせてあげる。

興味・関心、意味や価値や素晴しさを感じたら、あとは放っておいても自分で求めはじめます。

問題や悩みを持つ前に、知識を持ってしまうと、既に与えられた知識によってしか対応できない人間になってしまいます。

3.自分がその頃どうであったかを思い出しながら教育する

常に自分自身がその年代、どうしてもらったのか、その時どう感じたかということを思い出しながら教育することが大切です。ほとんどの場合、父親や母親の立場から、子どものことを心配して、言ってはならないことを言い、してはならないことをしています。自分が10歳の頃どのようにしてもらったか、15歳の頃どうであったか、どのように接して欲しかったかということを思い出しながら子どもに接することが大切です。自分が親からされていやだったことなど、反面教師的なこともあるかもしれません。

4.いつも目に愛の光を

子どもは空なる気を吸って育ちます。空気とは、空なる気です。目に見えないのです。気とは感性です。空気を吸うとは、まさに目に見えない感性を吸って生きているのです。

教育において一番大事なものは、言葉ではありません。空間が与える意味や価値や値打ちです。目つき・表情・態度です。子どもに対するとき、お父さんやお母さんが自分に対して、どういう目つき・表情・態度で接してくれているかが、最大の意味や価値を持つのです。目は口以上にものを言います。目は口ほどにものを言う」と言われますが、実際は口以上にものを言っています。眉間にしわを寄せて、怖い目で「楽しいね」
と言っても楽しさは伝わりません。

言葉は理性。

目つき・表情・態度は、感性です。

感性は、ウソを言えません。

理性はウソが言えます。

雰囲気は目つき・表情・態度が作るのです。

空間は感性の海です。

理屈を超えた雰囲気を作るのは、目つき・表情・態度です。

感性だから伝わるのです。

いつも目に愛の光を持って接してください。

5.親の生きる姿勢を見せる

生きる姿勢とは、その人がどういう問題意識を持って生きているかということです。父親とは何か、母親とは何か、どうあるべきかという自分の存在に対する問いかけを常に意識しながら生きることです。立ち居振る舞い・生きざまが、非常に強い教育力・感化力を持っているのです。

この5つが「愛の子育て」
人材(人財)教育ではない、人物教育のポイントです。

 

文化としての教育

なぜ教育が文化たらしめるのか?
もともと人間は文化を創る為に産まれてきた。
分化は自然に存在するものをもっと素晴らしいものにしていく。それを文化(カルチャー)という。

文化は人間が変えていくもの
人間性を鍛え成長させ人格を磨くプロセスが存在する。
文化はカルチャー、カルチャーの語源はラテン語のクルタス(耕す)という意味。耕すという文化は農業。農業の仕事というのは分化の根源であり、農業はアグリカルチャーともいう。アグリは土地、カルチャーは耕す、それで土地を耕すで農業となる。
農業こそ人間が創り出した文化

人間が人間的に生きる出発点である。

そういう面から見ても経済環境の根源に農業があるという点においてもっと生きる力の根源として農業(第1次産業)を見直す必要がある。